モアブログアーカイブ【番外編】未来はきっと世界中に繋がっている

モアブログアーカイブ【番外編】未来はきっと世界中に繋がっている

この記事は、新潟日報モア「サポーターブログ」の再掲載です。序文はこちら

【番外編】未来はきっと世界中に繋がっている

2013年12月30日

アルビレックス新潟サポーターの皆さまこんにちは☆
 
2003~2005年の3シーズンの間、モンテディオ山形でブラジル人選手・スタッフの通訳をやらせて頂きました渡辺健(たけし)と申します。
柱谷幸一監督の最後の年と、鈴木淳監督の1・2年目のシーズンです。
17~19歳の間、カズを目指してブラジルの、パラナ州のマツバラ、アプカラナ、コリチーバ、で修行しました。
コリチーバ(クリチーバ市)の本拠地コウト・ペレイラはW杯会場になりました☆
 
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ブラジル修行時代(選手時代はバリバリのサイドバックでした)
 
なぜ、モンテディオ山形出身のぼくがこれを書かせて頂く事になったのかというと、実は、みなさんもご存じ、大島秀夫くん(以下おーし)のお陰なんです。
 
現在ぼくは、地元名古屋のオフィス街、伏見という場所でconosco(コノスコ)という小さなバーをやっています。
ポルトガル語で“私たちと一緒に”という意味です。
サラリーマンのおっちゃんやOLさん、ぼくの友達等が気軽に来れるアットホームな店ですが、かつての戦友、おーし、桜井繁(現ベガルタ仙台)等が名古屋遠征の時に顔を出してくれ、その時おーしが書いてくれたブログを新潟サポの方が読み、足を運んでくれてぼくと新潟サポの方々が繋がったのです。代表戦やJリーグの試合がある時はテレビで観戦するんですが、今では新潟の試合を観戦する時は、周りの名古屋出身のお客さんも新潟を応援する流れが出来てしまっています(笑)
 
それでは、モンテディオ山形とアルビレックス新潟の監督の経験をされた鈴木淳監督について少し書かせて頂きます。
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山形通訳時代
 
2シーズンしか一緒に仕事出来なかったですし、まだ36歳のぼくですので正しいかどうかは分かりません。
あくまでもぼくの勝手な印象として読んで頂けたらと思います。
 
淳さんを一言で表現するなら、厳しくできる人、です。
 
ある日、仕事を終え帰宅するついでに淳さんの家にスカウティングビデオを届けに行くというミッションを授かった事がありました。
雲の上の存在の淳さん宅を訪問する・・・ぼくにとってその日一番の大仕事でした。
常日頃、淳さんの期待に応えられていないと自覚していたぼくは、緊張感MAXでした。
チャイムを押し、しばらくすると淳さんが現れました。あいさつをしビデオを手渡して、サッと帰ろうと思った瞬間、『上がってく?』と言われました。
心臓が飛び出て川又選手(当時はいませんでしたが)にボレーシュートされたくらいドキッ!!と心臓に激痛が走り、田中達也選手なみのスピードで逃げたかったんですが、それで気まずくなったらどうしようとか、一瞬でいろんな事を考え、思い切って上がらせて頂きました。
 
淳さんは既に別のビデオを観ていたので一緒に見させてもらったんですが、その時の淳さんは、クラブハウスやグランドでの淳さんとはまるで別人でした。
普通にぼくなんかにサッカーに関する意見を聞いてくれ、それが取り敢えず的な感じではなく、本当にぼくの意見を知りたいというのが伝わって来ましたし(※意見を聞いてくれたのが普段と違うという訳ではありません)、なななななんと手料理も出してくれたんです。確か里芋といかの煮物だったかな・・・?
これがまためちゃめちゃ美味しくて、天は二物を与えると思い知らされた瞬間でもありました。
そしてあまりの淳さんの優しさというか包容力というか、それに甘えておかわりしまくって、きっとさっき作ったばかりであろう煮物を、ぼくがほとんど食べてしまったんです。勧めて頂いたら少し頂いてもう十分です、と終わるのが普通だと思うんですが、本当に美味しくて本音はもっと食べたかったし、淳さんの勧め方がまた御上手で。。。あ、食べても良いんだなと思わせてくれる言い方なんです。
これは凡人にはなかなか出来ない事だし、淳さんもきっと意識してやってる訳ではないと思うんです。
そしてこんなこと、絶対覚えてくれていないと思いますが・・・(笑)

あ~、淳さん優しい人だなぁ~なんて余韻に浸りながら次の日の朝クラブハウスで、『淳さん昨日はありがとうございました☆』とお礼を言おうと思ったのですがその時はすでにいつもの厳格な人格者、気軽にプライベートのお礼を言う雰囲気は全くなかったのです。
この時に、ONとOFFというものを教わりました。

今思えば、仕事の大切さ、仕事に対する姿勢を、間近にいさせてもらえたあの頃にもっともっと意識して吸収するべきだったと思います。
淳さんは厳しい人、ではなく、厳しくしている人、だと思いました。
あそこまで自分にも人にも厳しく出来る人はなかなかいないんじゃないかと思います。
もしボクがサッカーチームのゼネラルマネージャーになったら、間違いなく一番に、淳さんに監督のオファーをするでしょう。
 
ただ、ぼくからオファーではNOと即答されるのが目に見えてますけど(笑)
 
話は変わってビッグスワン、あそこは異様でした。
当時J2で観客40000人て、あれは反則ですね(笑)勝てる気しないですよ(笑)選手に声届かないですしね。
テクニカルエリアぎりぎり出て行っても選手が3mくらいのとこまで近づいて来てくれなければ本当に声届かないんです。
かと言って諦める訳にはいかないので必死に叫んで選手もオーケーサイン出すんですが、心の中で「絶対聞こえてないでしょ」って呟いてましたもん。ま、声はそうかもしれませんが、気持ちは届いていたということで☆
 
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2003年10月11日、J2山形戦(新潟スタジアム)
 
あともう一つビッグスワンでの思い出があります。
当時ぼくは20代半ばの若造、世の中の仕組みも今以上に分かっていませんでした。
そんな青二才、緊迫した試合で審判のジャッジが不服で熱くなってペットボトルを蹴ってしまった事がありました。
そういうの、ちゃ~んと見られてるんですね。後日協会から注意文書が届きました。恥ずかしかったです(笑)
 
続きまして、ある方からのご質問です(なんかラジオっぽいですね)
 
■試合中、サポーターからの応援は影響あるのか?
これはもう間違いなくあります。前述した通り、ビッグスワンで勝てる気しなかったのは、40000人の大歓声があったからです。
四方八方の敵からもの凄い圧力を受け続けるわけですから、必要以上に気力を奪われます。
味方だったらさぞかし力強いでしょうね☆
 
■選手やブラジル人の移籍にお金以外の事も影響するのか?
ブラジル人限定の個人的な意見ですが、これは個人差があるんじゃないでしょうか。
山形のブラジル人はやはり雪や寒さにかなり悩まされていましたので、多少の金額の差なら気候のいいとこに行きたいと思う選手もいると思います。もちろんそうでない選手もいると思います。
あと、県民やサポーターの皆さんの温かさも重要だと思います。地球の裏側から遥々来るんですから温かく迎えられたいですよね☆
家族がいる場合は、家族がいかに不安なく生活出来るかも選手のパフォーマンスに大きく影響するので契約時は慎重になるポイントの1つだと思います。
 
さて、素人ながらに一生懸命書かせて頂きましたが、どうだったでしょうか。
間違ったことを書いてしまってないだろうかとか不安もありますが、嘘は書いてないのでそれが皆さんに伝われば良いなと思います。
また、名古屋にお越しの際は是非conoscoにお立ちより下さい☆
名古屋の愉快な仲間たちがお待ちしております☆
2014シーズンのアルビレックス新潟とサポーターの皆さまのご活躍を、遠い名古屋から願っております!!

渡辺健
ミシェウさんでおなじみコリチーバはじめ、ブラジルでのサッカー修行後、モンテディオ山形でブラジル人通訳として3年間勤める。
現在、名古屋市でカフェバー「conosco(コノスコ)」を経営。
名古屋在住アルビレックスサポーターが集う、お酒もご飯もおいしいお店です!
一人でもすぐになじめるお店なので、名古屋にこられた際にはぜひ「アルビサポーターです」と寄ってみてください。私も潜んでいるかもしれませんw
(モアブログライターの今井より)
 
愛知県名古屋市中区栄1丁目5-14モモタロウビル1F(伏見駅6番出口から徒歩1分)
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