モアブログアーカイブ【燃え上がれ清五郎】「鶏か卵か」ではなく僕らが作ろうよってお話

モアブログアーカイブ【燃え上がれ清五郎】「鶏か卵か」ではなく僕らが作ろうよってお話

この記事は、新潟日報モア「サポーターブログ」の再掲載です。序文はこちら

【燃え上がれ清五郎】「鶏か卵か」ではなく僕らが作ろうよってお話

2013年10月03日


浜崎です。Twitterを見ている限り火曜日の記事「新潟と無縁でもアイシテルニイガタ」は大きな反響があったようです。実は彼女は2008年12月にサポーターズリンク新潟というサポーター独自運営のSNSサイトに「アルビとともに歩むまで(http://supporterslink.com/?p=72)」という題名で同じ文脈のコラムを書いています。今の彼女のような明確な目標は無くとも「アルビを応援したい!」というメッセージは全くぶれてませんね。
 
今回は流れに乗って僕の応援原体験を書いてみようと思います。僕は野球全盛時代のサッカー少年でした。中学生のころにカズが日本に帰国し「全日本をワールドカップに連れていく」と高らかに宣言するもまだJリーグは開幕前。そんな普通のサッカー少年に「応援」という原体験がすりこまれたのが高校1年の時のアメリカワールドカップ予選でした。ちょうどJリーグが開幕した年の事です。
 
高校一年生の僕は夜中にTVで正座&握りこぶし。カズ、ラモス、井原、柱谷、森保とお馴染みの名選手が揃っていましたが、スルーパスを出すのはラモスの役目。そしてそのラモスをどのチームも「狙って」いました。今度こそ立てないだろ!って感じのファールをくらって倒れ込むラモス。年齢的にもこれが最初で最後のワールドカップ出場のチャンス。そのラモスの挑戦は終わってしまった!と僕は思ったわけです。普通はそこでTVから「ラモス!ラモス!」とコールが聞こえてくるはずですが、この時は違いました。聞こえてきたのは「アメリカへ行こう」という当時のメインチャント。誰よりもアメリカワールドカップに行きたがっていたであろうラモスを無理やりにでも立たせるためのチャントでしょう。そしてラモスは立ったわけです。僕はこの時TVの前で鳥肌が立っていました。選手の気持ちとシンクロした応援には奇跡を呼び込む力があるんだと。
 
 第二のショック体験は1999年。僕は新潟に住んで5年目。大学院の1年生でした。その年から市陸に通い始め、アルビレックス新潟を応援しだしました。と言ってもメインスタンドやバックスタンドを往復する普通のサポーターです。その年の最後の試合がFC東京戦。このシーズン、アルビレックスは善戦するも既に昇格の可能性は無い完全な消化試合。反対にFC東京は3位。2位の大分が負ければ昇格もありえると言う状況です。そのシーズンのJ2のスタンダードはホーム3000人、アウェイ100人以下。こんなもんです。
この日のFC東京戦を伝えた1999年11月22日の新潟日報
 
それがこの日の東京はバス5台、いろいろ合わせると500人くらいいたかもしれません。当時のJ2ではちょっとした事件でした。そしてFC東京サポの応援。これがまた素晴らしかった。マチさんが感じた東京の応援とは全く真逆で選手の1プレーに拍手を送り、激励の猛烈なコールを送る。それをアップの時から試合終了まで続ける。これは凄いなと。真剣で、選手と会話をしているようで、選手に信頼されているような応援。僕は当時のFC東京の応援をそんな風に捕らえました。はっきり言うともう惚れちゃったくらいです。
 
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FC東京色に染まる新潟市陸上競技場スタンド(1999年11月21日)

この2つが僕の応援原体験です。で、次の年に僕らは応援組織を結成(5人だけどw)。当然当時のFC東京を意識した応援を展開していくことになります。とはいえ当時はまだスカパーによる全試合中継も無く、「当時のFC東京の応援」というよりは「あの試合のあの応援」を追い求めていく形です。そこがアルビレックスとマチさんが感じた東京ダービーの分かれ道だったんだと思います。
 
その後のアルビレックスの応援が「選手の良いプレーに拍手を、ミスにはもっと大きな拍手を」「溜息少なめ、拍手多め」「諦めない応援はひたむきなプレーにつながる」「Never Say Boo」と形作られていくのはこういった原体験があったからでした。ラモスのアツいプレー。ジョホールバルまで行ったアツいサポーターの涙は実はビッグスワンまで繋がっていましたよっつーお話でした。
 
こんなアツい創世記を経験できて昔のサポーターが羨ましいですか?いやいや。マチさんがTVで見ていた2003年もアツかったし、皆で起こした2012年の奇跡もそれらの経験に負けず劣らず凄いものでしたよ。あそこが原体験となって新しい応援が始まって行く事もあるんじゃないかなと未来に期待する事にします。去年の俺たちに恥じない応援を、今年の俺達もやりましょう。俺達は奇跡を起こすサポーターだ!
 
余談1
僕がくらった2つのショック体験は実は両方とも植田朝日さんという人物が中心となった応援でした。植田朝日さんとはその1年後、僕が大学院の卒業間際にお話しする機会がありました。そこで得意満面の顔で言うわけですよ。「(99年最終節で)新潟には一生応援で負けないと確信したね」とwもうね。カチーンと来るわけですよ。植田朝日さんもどうかと思いますが、当時の僕も相当生意気ですねwww この時僕の中で何かのスイッチが入りましたw普通じゃだめだとwww
 
余談2
このコラムを読んでいる皆さんはお分かりかと思いますけど、今年から新潟大学や関東の学生が積極的に、かつ自発的にネットワークを作る動きが出てきてますよね。これ自体も彼らの大きな原体験&成功体験になるんじゃないかなと思います。未来のサポーターが「全部やりつくされてしまっている!」と思っちゃうくらい何でもかんでもやりきっちゃってください。そして次の段階では「新潟サポーター全部」をリードするようなムーブメントを起こしちゃいましょう。期待してます!
 
余談3
2001年以降J2時代のメインチャント「J1へ行こう」はここからパクりましたwアメリカへはいけなかったけどラモスは立ちあがったわけで、その力にあやかったわけです。3年かかったけどJ1行けました!

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浜崎一(はまさき・はじめ) 
1977年生まれ。神奈川出身だが、新潟大学進学という理由で偶然新潟に移り住む。大学院時代にJ2初年度のアルビレックスにはまり、その後10年間事実上のコールリーダーとしてアルビレックスの応援の最もホットな部分で活躍。現在はゴール裏を離れ、市民レベルでサポータームーブメントを起こす仕掛け役となっている。

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