【燃え上がれ清五郎】俺たちの誇り新潟

【燃え上がれ清五郎】俺たちの誇り新潟

この記事は、新潟日報モア「サポーターブログ」の再掲載です。序文はこちら

【燃え上がれ清五郎】俺たちの誇り新潟

2013年07月18日

皆様、こんにちは。
前回、思いがけないロペスの退団があり、そのお話をさせていただいたので、2回目ではありますが、改めて自己紹介的なものを書かせていただければと思います。
 
私は数少なく影薄い、愛知県に住む東海サポの一人です。
可能な限りスタジアムで観戦したい!と思ってはいるものの、時間とお金(主に後者)の問題で、アウェイ中心、ビッグスワンへは年数回。
後援会にも実は今年初めて入りましたし、聖篭の練習場へは残念ながら一度も行った事がありません。
そもそも、私はサポーターなのか?ファンなのか?
 ちょうど一年位前でしょうか?
この、サポーターブログの発起人かつ第一回目を書いた、hamaさんが、「日報をアルビサポーターでジャックしようぜ」と、野望をツイッターでぶちまけていた時に「おもしろそうだから、県外でもネットで読めるようにしてね~」と返していたのに、まさか自分が書いているとは。
そもそも、自分がこんなにサッカーを好きになって応援しているとは。
 
人生何がどうなるか分からない物です。
 
私はいわゆるアラフォーど真ん中な世代です。
気がつくと、人生の半分以上を県外ですごしました。
でも、不思議な事に、離れている期間の長さと比例して、新潟愛が増えているように思えます。もっとも、試合の度に「アイシテルニイガタ」と大声で叫んでいれば、愛がつのっても不思議はない。ある種、自己催眠に年々深くかかっているのかもしれません。
 
でも、新潟に住んでいた高校生の頃、私は何が何でも県外に脱出したい、と考えていました。青くて血気盛んだった10代の私には、新潟は、保守的で窮屈で何も無い街に見えていたのだと思います。特別な夢や、やりたい事があった訳でもないのに、新潟を出てみたい一心で大学進学を選んだ、と言っても過言ではありません。(親がこれを見つけない事を祈ります。)決して嫌いだったわけではありませんが、「俺たちの誇り新潟」と感じることも皆無だったように思います。
 
そして、初の県外、初の一人暮らしをするわけですが、これまた関西の水があったのか、一瞬たりともホームシックになる事もなく、新潟に帰るのは盆正月(も怪しい)という状況でした。帰省は楽しみでしたが、正直、新幹線で新潟の風景を見た時よりも、京都タワーが見えてきた時に「ああ、帰ってきたな」と感じている、私にとって新潟はそういった位置づけになっていました。
アリバイ的に新潟の企業も受けましたが、当然のように大阪の企業に就職し、独り言も関西弁になったころ、アルビレックス新潟に出会う事になります。
 
J1昇格争いの頃でしょうか。新潟のサッカーが熱いらしい、という話題をたまたま見て、酒・魚以外で地元が取り上げられる事がうれしかったのか、色々調べたりしたけれど、まあ、「へ~」、というレベルでしばらく過ごしました。
 
初アルビ観戦は、J1昇格元年、長居でのセレッソ大阪戦。退場は出るは、逆転勝ちするは、なんとも「この試合見たら次も行きたくなるよね!」という試合(だったように思います。)。みんながニコニコしていました。
 
そして、満を持してビッグスワンへ。相手がどこだったか、勝ったのか負けたのか、どういう訳か、試合の事をびっくりするレベルで覚えていません。
でも、こんな事が新潟でおこるなんて、と感動した、あの時の興奮。
ゴール裏の応援に向かって、思わず拍手をしてしまった、典型的なJ1昇格バブルに浮かれた人間の一人でした。
 
当時、オフサイドって何?という「にわか代表サポ」だった私。時代が違ったら、渋谷の交差点、いや道頓堀で盛り上がっていた若者だったかもなあ。いや、そんなに若くもないか。何にしても、「サッカー」ではなく、「盛り上がっているサッカー」が好きだったのだと思います。えのきどさんの言う所の「結果のファン」に近かったかもしれません。※1
 
でも、好きこそ物の上手なれ。
アルビを好きになるにつれて、少しずつサッカーのルールを覚え、少しずつ大きな声で応援するようになり、少しずつアルビを通じた仲間が出来て、素晴らしく幸せな『新潟ライフ』を県外在住だけれどもすごさせてもらっています。
 
高校生の私が保守的だ、と窮屈に感じていた県民性は、今も感じる場面がないとは言いません。もったいないな、と思う事もあります。なんでモアブログは会員制なんだろう、とか(笑)。
でも、得体のしれない1サポーターを受け止めてくれる優しさや、勝てなくとも勝てなくともめげない(いや、めげるけれど)我慢強さ、堅実さ、そんな場面にふれる度に、新潟県民あったかいなぁ、とスバラシイ面に気付かされました。
 
あの時アルビに出会わなければ、私にとって新潟は、愛しくて懐かしいけれど、振り返ることのないふるさと、になってしまっていたのだろうな、としみじみ。本当に感謝しています。
 
新潟に住んでいてもいなくても、今の私と同様、アルビやサッカーを好きになることで、新潟がもっと楽しく、もっと好きになる方が一人でも多く増えてくれたら。
 
そして、私がアルビにはまるきっかけになった「4万人のスタジアム」が復活しますように。
そしてそして、J1で優勝する日を共に喜べますように。
 
何が出来るか分からないけれど、何か出来ることがあればとりあえずやっていきたいなあ、とぼんやり考えていますので、今後ともどうぞ宜しくお願い致します!
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今井浩美
1973年生まれ。新潟市で生まれ育つも、大学進学とともに県外へ。以後、京都→大阪→現在愛知在住。J1昇格とともにサッカー観戦にはまった、まさにアルビバブルの申し子。新潟を離れた年月と比例して新潟愛が強くなるな、と感じる今日この頃。ビッグスワンへは年数回、西日本アウェイを中心にゆるく応援をしています。
 
※1 文中に使った「結果のファン」ですが、アルビレックス公式サイトで連載されているコラム『アルビレックス散歩道』で、日報紙面でもおなじみ、えのきどいちろうさんが使われた言葉です。
 
この、「結果のファン」という言葉がとても印象的で、私の脳内では、下位で苦しんだ去年~一昨年位のコラムだったと思い込んでいたのですが、なんと2009年9月の記事でした。
2009年といえば、あの輝かしい4-3-3時代。
鈴木淳監督の集大成の年。
マルシオ・リシャルデス選手が君臨し、W充(永田充選手・千代丹田充選手)がそびえ、矢野貴章選手へハートのコレオを作り、天皇杯清水戦でアイシテルニイガタがループした、あの2009年。
そんなにブレるような事あったっけ?と、たどってみたら、うん、それなりに色々あったみたい。
私の中では、すーーーーっかり美化されて、PJ(ペドロジュニオール選手)の電撃移籍は余計として、基本的に素晴らしいことばっかりの年になっていましたが、いや、中心選手が下がるとゲームが壊れるやら、得点力不足やら、ブーイングの是非とか、いろいろあったんだな。
それって、去年と一緒だw。
というか、毎年けっこう一緒だww。
ある意味、私もアルビサポーターもぶれてないですなwww。
 
毎年毎年、へこんで、お酒飲んで、笑って、また泣いて、それでも「今年は一味違う」とうきうきして。それこそが、マイチームを応援する醍醐味かもしれません。もちろん、ずっと笑ってお酒飲めるシーズンは、もっと大歓迎ではありますが。
 
ちなみに、同じ2009年の7/9の散歩道「俺たちと共に戦おう」は、私の人生史上最大に感銘を受けた銘文の一つだし、私の中でアルビレックスに対するスタンスが変わり始めたキーポイントの事件でした。
多分100回位読んで、80回位泣きました。
先程ついでに読み返して、また涙が出てきてしまった。
こうやって、歴史は続いていくんだな。

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